バレエ好きの皇帝

昔、ロシアにピョートル大帝という立派な皇帝がいました。👑このころのロシアはヨーロッパに比べて文化が盛んではありませんでした。産業面での技術もまだまだでした。

日本では江戸時代で、8代将軍徳川吉宗と名奉行の大岡越前のコンビが活躍を始めるころで、ロシアよりも経済や文化が盛んになっていました。

そこで、このピョートル大帝は自分自身で何とかしようと考えました。ロシアを強くするためには、軍隊を強くしようと思い、多くの家臣を連れて自分でヨーロッパへ行きました。

海洋大国(かいようたいこく)のオランダでは、船大工(ふなだいく)の格好で働き技術を身につけました。あとで市民にバレてしまい有名になったそうです。🚢

それからイギリスなどヨーロッパの多くの国に行き、いろいろな技術や政治の仕組み、そして文化をロシアへ持ち帰りました。これがロシアバレエの礎(いしずえ)になったと言われています。前回お話しした、イタリアからフランスへ行ったバレエがロシアへと伝わったのです。ピョートル大帝は新しい都をサンクト・ぺテルブルグに作ります。🏰

そして、このサンクト・ペテルブルクにはロシアで初めてのバレエ学校ができます。それが、今のワガノワバレエ学校です。このロシアバレエがさらに発展するのは女帝エカテリーナ2世の時代と言われています。

この時代は日本では江戸時代の文化と経済が最も盛んに発展した時代で、有名な田沼意次が登場した時代です。🏯

ヨーロッパではフランスで市民の力が強まりフランス革命が起きました。この時代のフランスは作物がとれず、食べ物が足りなかったことが革命の原因の一つとも言われています。「ベルばら(ベルサイユのばら)」に出てくる王様のお妃、マリーアントワネットが「パンが無ければお菓子を食べればいいのに」と言ったとか言わなかったとか。。。🍰

エカテリーナ2世は恋多き啓蒙専制君主(けいもうせんせいくんしゅ)として文化を盛んにすることにも力を入れました。やはりバレエや文化はお姫様や女性の力を必要とするのかもしれませんね。                                                                                                                                            T.K

 

タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , ,